アメリカンポップスの時代 (年金フル世代の子供の頃 )

テレビ創世記に流行したアメリカンポップスは、ライブ等に行く事の出来ないガキにとって、正にテレビからの情報が頼りだった。そしてこれらの曲はその名の通り米国でヒットしたものだが、日本では全て日本語の歌詞を付けて日本人歌手が歌っていた。勿論当時の日本人の多くはオリジナルを聞く機会も無く、これらの日本語版が全てだった。

1960年代の前半は女性では中尾ミエ・伊東ゆかり・園まり3人娘 (正式にはスパーク3人娘) が人気だった。えっ、3人娘と言えば美空ひばり・江利チエミ・雪村いづみ (1955年~) だろう、っていうあなたは十年程先輩だろうし、山口百恵・桜田淳子・森昌子 (1973年~、花の中三トリオ) という君は十年後輩という事になる。

それではアメリカンポップスとは一体どんな曲だったのだろうかといえば、先ずは中尾ミエの代表曲「可愛いいベビー」はコニー・フランシスの日本語版カバー。伊東ゆかりはリトル・エヴァの「ロコ・モーション」など、そして園まりはディー・ディー・シンガーの「マッシュ・ポテト」など何れも米国でヒットした曲のカバーだった。

他に人気の女性シンガーといえば森山加代子も外せない。何しろ持ち歌には翻訳もの以外にも日本人によるオリジナルも結構く、その面では3人娘を超えていた。そして忘れてはいけないのは双子のデュオであるザ・ピーナッツで、前出の若い季節を始めとして多くの主題歌も歌っていた。

では男性はといえば、坂本九を思い出す。代表曲の「上を向いて歩こう」は米国のヒットチャートで1位となり日本人で初のゴールドディクスを受賞するという偉業を達成した。坂本九がヒット曲を出してテレビに出始めた1960年にはダニー飯田とパラダイスキング (通称パラキン) というバンドのボーカルだったが、実はそれ以前は何とあのドリフターズでボーカル兼ギターを担当していたのだった。

パラキンは当初はハワイアンバンドだったが、1958年頃からロックバンドとなって米軍キャンプでの演奏を経てテレビで人気を博して行った。リーダーのダニー飯田はスチールギターを弾いているのがハワイアンバンドの名残りを感じる。

この時代はパラキンと共に人気のバンドと言えばハナ肇とクレージーキャッツで、パラキンと同様に米軍キャンプ回りをしていたが、その後はテレビのバラエティ番組に数多く出演し、寧ろコントを演じる事が多くなり、世間ではコミックバンドと認識されていたが、元々がジャズバンドであり音楽的レベルは高かった。ヒット曲はオリジナル曲が多く代表作は「五万節」「ホンダラ節」等があり、多くは植木等がソロだった。

実は例のドラマ「若い季節」でライバル会社の写真を演じていたのがパラキンとクレージーキャッツだった覚えがある。

他にも当時有名だった歌手も多いが、これに付いては次回につづく。

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