テレビ創世記の誘拐殺人事件(年金フル世代の子供の頃 )

1959年の皇太子ご成婚でテレビの普及が一気に加速した翌年の1960年に東京世田谷で起きた男児誘拐殺人事件は、誘拐されて身代金を要求する電話等の一挙一動がリアルタイムでテレビが報道されるという、当時の日本人にとって初めての経験だった。しかしそれが裏目に出て、犯人は逃亡し人質の男児は殺害されてしまった。この時犯人が乗っていたのが日野ルノーで、これも当時有名になった事の一つだった。

この時の被害者は慶応義塾幼稚舎2年の尾関雅樹ちゃん (6歳) で、当時雅樹ちゃんの名前を知らない日本人居ないであろうというくらいに、このニュースは日本中を駆け巡った。更に話題となったのは犯人の本山茂久 (当時32歳) は何と歯科医師だった事で、しかも開業医! まあ経営の問題もあるだろうが、この時代は未だ歯科医も決して儲かる仕事じゃ無かったと言う事だ。しかし当時としては高価だった自家用車、しかも憧れのルノー (日野自動車のノックダウン) 何て買えば金繰りが厳しくなったのも当然かもしれない。

それが10年後の1970年頃になると高度成長で裕福になった事もあり、歯科医はボロ儲けの代表みたいな職業になっていて、金に困って営利誘拐殺人何て有り得ないという迄に世の中は変わっていた。本山は1961年に死刑判決が確定し1971年に刑が執行された。事件当時は本山という名前も日本中に知れ渡り、我らガキ共の脳裏にも焼き付いていた。

雅樹ちゃん事件から 3年後の1963年にはこれまた有名な吉展 (よしのぶ) ちゃん誘拐殺人事件が発生した。台東区の建設業者の長男(当時4歳) 村越吉展ちゃんが行方不明になり、翌日身代金を要求する電話があり母親が指定の場所に現金を置いて、犯人は身代金を受け取ったが吉展ちゃんは返ってこなかった。

この事件、犯人が逮捕されたのは2年後の1965年だった。当時この事件を題材にした「返しておくれ今すぐに」という曲が男性 4人のコーラスグループであるポニージャックスやザ・ピーナツ、フランク永井その他の共作でテレビやラジオで頻繁に流れていたのを今でもハッキリ覚えている。これは犯人に対して訴えかけるという点では初の試みだった。

なおこれ以降の誘拐事件は報道規制により当時のようにリアルタイムで詳細な報道は無くなった。

あれから半世紀以上が経過して今では殺人事件なんて日常茶飯事で、子供が一人殺された事件があったとしても当時程のインパクトを感じ無くなってしまい、それどころか2~3人、いやそれ以上の大量殺人も珍しくなくなってしまった。これも世の中の変化なのだろうか?

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