ザ・ヒットパレード(年金フル世代の子供の頃)

7月 3, 2018 0 投稿者: B_Otaku

1959年6月からフジテレビ系で放送開始された「ザ・ヒットパレード」は当時数少ない音楽番組として歴史に残る番組の一つだ。オープニングの ♪ザ・ヒッパレ―、ヒッパレー‥‥♪ というメロディーは年金フル年代なら多くの人々が覚えているだろう。放送時間は火曜日午後7時だったが 1969年10月より土曜日午後7時30分となり、半年後の1970年3月にてこの番組は終了となった。この平日の午後7時というのは父親は未だ帰宅していないからガキとしては自分の天下の時間帯で、家族に邪魔をされずにユックリと見られるという、ありがたい時間帯だった。

司会者は初期にはミッキーカーチス・芳村真理(後半豊原ミツ子)、その後は長沢純・豊原ミツ子、尾藤イサオ・豊原ミツ子(後半木の実ナナ)、境正章・梓みちよ、布施明と続いて行った。さてこれら司会者の名前を見て何人思いだせるだろうか?

ミッキーカーチスはロカビリー歌手として当時有名だった。長沢純は当時人気絶大だった男性3人のアイドルグループ「スリーファンキーズ」のリーダーで、このグループに触発されてジャニーズが誕生したという、もうこの手のグループの本家本元という感じだ。下の動画でメロディーを歌っているのは初期メンバーの高橋元太郎で、後に水戸黄門のうっかり八兵衛役で有名になった。

尾藤イサオも当時は有名なロカビリー&ポップスシンガー、境正章はスパイダースのボーカル、そして布施明はポップスシンガーでその後米国の有名女優オリヴィア・ハッセーと結婚して話題となったので、覚えている読者も多いだろう。

この当時は伴奏にフルバンドが付いていた時代で、初期のころは指揮者のスマイリー小原が踊りながら指揮をするスカイライナーズが伴奏を行っていた。この踊る指揮者も当時有名で、初めて見た時からその姿が脳裏に焼き付いたものだった。なお伴奏にはフルバンドに加えてロック系コンボバンドも使用され、これが後にブルー・シャトウで大ヒットしたジャッキー吉川とブルーコメッツ (通称ブルコメ) だった。ブルコメは後のグループサウンズブーム (1967~1969年) に続くという面でも当時の音楽史の重要なグループだった。

もうひと組忘れてはならない双子の女性デュオがザ・ピーナッツで、これまた当時を知っている世代からすれば超メジャーだった。

ザ・ヒットパレードの約10年間はロカビリーから始まり、グループサウンズで終わるという、正に60年代日本の軽音楽の移り変わりそのものだった。