70年代の大学受験(年金フル世代の受験生時代)
7月 24, 2018
R65ド真ん中なら1953年生まれという事になり、大学受験の18歳の時点では1971年となる。1970年というのは日米安保の改定、すなわち70年安保の年だから世の中は騒然としていて、各地で学園紛争が勃発していた頃だが、これが1971年になると終息に向かって行ったから、この時代は一年の違いで大きく受験事情が変わる事があった。
その中でも最大の出来事は1969年の東大入試中止事件で、1968年に全共闘が東大安田講堂を占拠する東大紛争が勃発し、政府は機動隊を突入させて武装解除したが、その影響で翌1969年の東大入試が中止となったものだ。
実はこの年、私自身も正に大学受験の年で、それでも最初は「東大っ?俺達には関係ねぇなぁ」とか言っていたが、考えれて見れば本来東大に合格する筈の受験生が京大や東工大 (理科系の場合) に変更して、その分京大と東工大に合格する筈だった受験生が横浜国大や農工大などに‥‥という事で、最後にしわ寄せが来るのは我々のような落ちこぼれ受験生だと気が付いた!
ところで、当時の国立大学の学費というのはあっと驚く年額12,000円!月額にすればたったの1,000円だから、まあ只と同じようなものだ。それでも公立 (都立) 高校の月額600円に比べれば確かに大学だけあって400円も高い!
まあそんな実情だったから、相当に貧乏な家庭の子弟でも国立大学なら何とかなる、という状況も結構あった。事実、高校の同期生に母子家庭で都営の低所得者住宅に住んでいた友人がいて、しかし彼は貧乏にもめげずに日曜日には近所の教会に通い、ボランティアにも精を出し、一浪して勿論予備校の入学金は無いから自宅浪人 (通称宅浪) して、次の年は見事に旧帝大系の国立大学に合格した。他にもやっぱり結構貧乏な友人は地方の国立大学に合格していった例が多い。なんたって裕福な連中と比べて私立は(学費が)無いっ!という信念があるから気合が違った。
それでは地方での下宿 (アパート) 代はといえば、物価が安いからボロいとは言え家賃が6,000千円とかいうのがあったり、生活費などは家庭教師のアルバイトが幾らでもあった。何しろ地方都市からすれば地元のエリート大学だから、地元の金持ちの子弟の家庭教師の口は多かったし、報酬も良く、それ以外に食事は出るし、色んなものをもらえるし、更に日本育英会の時代だから奨学金も今より寧ろ充実していたから、何とかなったようだ。
そんな状況だったから難易度では国立優位で、国立大学としては下位となる地方の大学でも、今で言うMARCHクラスよりも間違いなく上だった。それが今では、地方国立大学なんてダサいから目も向けられず、お洒落な東京の大学に人気は集中する時代になってしまった。しかしその憧れの都会の大学は、入ってみたらばなんと都心から2時間もかかるド田舎の校舎だったりして、これじゃ故郷の街のほうがよっぽどマシだ、何て事になったりする。
なお前述の苦学生の友人たちは、卒業後は何れも大手企業 (要するに東証一部上場企業) に就職し、結婚して子供も出来て郊外に一戸建ても購入したという。目出度し、目出度し。