60年代の海水浴(年金フル世代の子供の頃 )

最近は海水浴の人気が無く、特に若い女性は肌を焼くどころか紫外線を極端に嫌う傾向があるらしい。そんな現代に比べれば60年代の夏は海水浴が花盛り。町内会で観光バスを仕立てて行くなんていう事も良く見かけた。

それで我が家はというとバスでは無くて家族の単独行動で、言ったところは逗子海岸だった。ここは何回か行った覚えがあるが、思い出深いのは海の家だった。この海の家というのは海水浴シーズンのみに砂浜に仮設の休憩所を作ってあって、ここにはロッカーもあるからそこに荷物を入れて、ひとしきり海に入ったり砂浜で遊んだりしたらその海の家で休憩したり食事をとったりするのだが、ここは砂浜より少し高い位置に仮設の床がありその上にゴザが敷いてあって、そこに座って飲食をする事になる。食事は自分で持ち込みでも、売店で買っても良いが、売っている食事はお祭り等とおなじ屋台のものとなるが、まああの焼きそばとかがまた雰囲気を盛り上げたりする。

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逗子の場合は、帰り際に風呂に入れるのが特徴で、これまた仮設ではあるが木製の風呂桶が設置されていて、その大きさは銭湯並みに大きくて、こんな大きな木製の湯船は他に見た事が無いので今でもハッキリと記憶している。

上記のように何度か訪れた逗子海岸だったが、その後に大磯ロングビーチに行った事がある。ここは各種のプールがあってそのプールサイドにパラソルの着いたテーブルがあり、ここが海の家の代わりとなったが、何故か全体的に高級感を感じて、逗子の海の家のような庶民的なモノとは違いがあった。ここで売っている飲み物も海の家の”三ツ矢サイダー” では無く、何やら訳の判らないもので飲むと強烈な炭酸で子供にとっては口の中が爆発するんじゃないか、というくらいだった。値段も当時の常識としては恐ろしく高かった記憶がある。その飲み物とは何を隠そうコカコーラだった。

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大磯の海岸は砂浜に石が多く、海は深くて波が荒い事から遊泳禁止のために、このようなプールの多い施設になったようだ。この施設の経営は西武グループで大磯プリンスホテルが併設されていた、というのはずーと後になって知ったのだが、成る程高級志向だった訳だ。

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