60年代の私立小学校(年金フル世代の子供の頃)

最近は私立中学校を受験するなんていう話も結構聞くが、私立小学校となると一気に少数派になってしまう。それでは60年代の私立小学校の実情はどうだったのだろうか? ということで当時の状況を思い出して見る。

その前にこの前提となるのは当時私が住んでいた東京の23区内、しかし決して高級住宅地とか山の手では無いが完全な下町でも無い場所での話だ。それで時代は1957年だから厳密には60年代では無いが、そこはまあ硬い事を言わないで行こう。

その1957年というのは神武景気の最後の頃であり近所にあった、いわゆるパパママカンパニーとか父ちゃん母ちゃん企業という零細な工場でも結構な収入があったらしく、同年代のホワイトカラーのサラリーマンよりも稼ぎが多いようだった。実はその家の息子と同級生で同じ幼稚園に通っていたのだけれど、小学校は何と近所にあった女子校の付属小学校に入学したのだった。女子校に男子?と思ったらば、小学校は男子も入学できるのだったが、その制服は単に女子のスカートを半ズボンにした程度の違いで、まあ低学年ならば可愛いかもしれないが、成長が早くて髭や声変わり等の思春期が始まった子もいる高学年だと‥‥ちょいと似合わないが。下の写真はその時の女子校そのものではないが当時もこんな感じだから、他にも結構同様の小学校はあるようだ。

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ところが、1957年の4月に私立小学校に入学したとして、同年7月には鍋底景気と呼ばれた不景気が発生したから、この友人の家も大変だったようだ。それでも何とか乗り切って1958年後半からの岩戸景気で救われたようだった。それで、その友人が行った小学校は女子校なので男子は小学校で終わり! 中学校は公立へ行くか別の私立を受験する必要があるが、結局我が家は小学校6年の後半で転居したので、その友人がどうなったかは判らない。

まあ私立小学校と言っても、上は政財界のトップの子弟が行く慶應義塾幼稚舎とか、戦前の華族女学校を前身とし家柄の良い子供達が行く学習院初等科とかの名門から、下は前述のようなにわか成り金の零細業者の子供が行ったりする三流女子校の付属小学校とか、色々あったのを思い出した。ところでその女子校は、その後首都圏郊外の他県に進出して、そこでは人気の女子校になっていた。他にも東京都内も含めて、その昔は3流女子校だった中高一貫校が、今では結構人気のブランド校化していたりして、その実態を知ると驚く事になる。

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