公立中学だって良い事もある 前編
8月 19, 2018入試ネタとして前回は60年代の私立小学校という題で小学校受験を取り上げて、本来その続編ならば中学受験という事になるのだが、その前に公立中学校について考えてみる。
まず公立中学校というのは、その学区域に居住していて入学の年齢になれば誰でも入学できる、というよりも義務教育だから私立 (国立含む) に入学しない限り自動的にその中学校に入学する事になる。ここでその学区域と書いたのは60年代には越境入学といって、目的とする公立 (都立) 高校を受験する為に、その学区域の中学に入学する事で、勿論本当は出来ないのだがそこは色々裏があって、例としては親戚の家に住所を移してそこから通う事にするいうのがメジャーだった。実は60年代にはそれを逆手にとって、偽の下宿先を手配して住所を変更してくれる専門の業者まで出現していた。その公立中学とはかの有名な千代田区立麹町中学校で、ここから60年代に東大合格日本一だった日比谷高校を狙うというのが当時のスーパーエリートのコースだった。
勿論他にも日比谷高校の学区内に公立中学校はあった訳で、私の住んでいた地区では文京区立茗台中学校への越境入学というのが流行っていた。しかし何も文京区へ越境して日比谷高校を目指さなくても、自宅で小石川高校に入学しても東大合格の確立は充分にあったのだが、やはり少しでも東大合格の確立が高い日比谷高校を狙うのだった。しかしこの手の越境入学は都立高校の学校群制度採用と共に意味をなさなくなってしまった。この辺は60年代の高校受験にて取り上げている。
まあ上記のような中学校は公立としては例外的であり、その他の殆どは玉石混合で正に世間の縮図みたいなものだった。何しろ上記のように超一流の公立高校や私立受験校に進学してそこから一流大学を経て世の中のエリート街道まっしぐらという生徒がいると思えば、どうしようもない悪でオマケに頭も悪いし、将来は底辺というよりも犯罪者間違い無しという奴もいるという世界だ。
実は私の場合は小学校6年の秋に23区内から西東京、要するに多摩地区に転居した事で中学校は未だ完全にベッドタウン化する前の言ってみればド田舎の中学校に入学したのだった。その中学校の学区域には以前からあった大規模な都営住宅が含まれていて、ここからの生徒の殆どは言ってみればグレていて、警察沙汰は日常茶飯事であり、しかも頭は悪いから成績は底辺で、しかしこういうのが各クラスに数名もいたから学校全体の学力レベルも随分と低かった。
それ以外には元々の地元民というか、言ってみれば土着民、農民であり、これまたその殆どは都営住宅組と良い勝負の底辺ばっかりだったが、学年に数人は農家と言っても名主とか庄屋といわれる支配階級の家系の生徒が居て、皆成績はかなり良くて、要するに DNA が優秀で頭が良いのだった。
こんな状況だから中学生活は結構地獄で、校内での学用品や上履きの盗難や恐喝事件は日常茶飯事で警察沙汰も結構あったし、そんな生徒の親は平気なのかと言えば、これがまた親も親で、母子家庭なのに家にはオヤジが居たり、兄貴は少年院に入っているとか、まあ流石にそれなりだった。それで思うのは、あんな連中を世の中から抹殺したらばどんなに良い世の中になるだろうか、なんて十代前半にして誰に教わる事も無く優生学に相当するものを自己開発しているくらいだった。
この話題は後編につづく