60年代のオーディオ6(年金フル世代の子供の頃)

前回の60年代のオーディオ5では中級程度のユニットを買って来て国産の箱に入れるという “庶民のマニア” の間で流行っていた方法を取り上げたが、今回はお金持ちか重傷のマニアが使う一流のスピーカーについて纏めてみる。

1960年代の高級スピーカーの御三家として先ずはアルテックの名前が浮かんでくる。正式にはALTEC LANSINGという名称で、実はこの会社のスピーカーは業務用で、それを一部のマニアが家庭で使っていただけであり、その面では使い辛さもあった。そのアルテックの一番人気といえ A7 でサブネイムをボイスオフシアターという事からも判るように、これは本来劇場用のモノだった。構成は38㎝ウーハーとホーンスコーカ(中音用)でツイータ(高音用)は無く、スコーカで高音域までカバーしていた。というのは元々映画館での使用が多く、当時の映画の音声はフィルムに記録された光学録音の為に超高域は出ない事から、これで充分だった。

A7の価格は1965年当時で仕様により22~35万円くらいで、その価格差の最大のものはスピーカーボックスが国産が米国製オリジナルか、という点にあった。実はこの差は大きくて、実際に両方を聴いた経験があるが、個体差はあるとはいえ状態の良いオリジナルボックスの音の良さは最高だった。ただしA7は劇場用だけあって広い部屋を必要とし、前述のオリジナル箱を聴いたのも某億ションの30畳程の広さのリビングルームだった。

このアルテックには604Eというフルレンジユニットがあり、本来は専用のボックスに入れてスタジオモニターとして使用するモノだったが、これを国産の箱に入れると価格が A7 よりも大分安かったことから、マニアの間でも人気があった。604Eは38㎝ウーハーの中心部にホーンスコーカーを組み込んだもので、正確にはフルレンジというよりも同軸型(コアキシャル)というべきものだった。

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アルテックが業務用であるのに対して家庭用の最高級品を目指したのがJBLであり、その中でもマニアの憧れはオリンパスという横長の大きなボックスに入ったユニットで、価格は45~60万円という結構なモノだった。このJBLは創立者のJames B Lansing氏のイニシャルであり、日本では通称 “ジムラン” とも呼ばれていた。えっ、ランシングってアルテックもランシングじゃねぇ? って。ハイその通りで、実はアルテックの共同経営者だったランシング氏が業務用では無く家庭用の最高級品を目指して独立して立ち上げたのがJBLだった。ここで家庭用というのは劇場では無くてビバリーヒルズ辺りの豪邸で使用するという意味だが、確かにアルテックと比べればより狭い部屋でも充分に使えた。というのは実体験だが、これについては別項にて説明する予定だ。

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さて御三家の最後はタンノイで、前2社が米国だったのに比べてこちらは英国という特長がある。タンノイのトップグレードはオートグラフという大型のコーナー型で、価格は43万円とオリンパスよりは安かったが、実はオートグラフは特殊なバックロードホーンという形式のボックスで、中身自体はタンノイモニター15という38㎝のコアキシャルユニットで、言ってみればアルテック604E の英国版で、ユニット単体の価格は77,000円と意外に安かった。その為にユニットを買って、これに国産のボックスを組み合わせると意外に安く購入出来、何を隠そう70年代初期に必死でアルバイトをして購入したのが、このタンノイだった。ボックスは国産だが輸入元の純正品で、タンノイの特徴であるコーナー型では無く四角い縦長で、商品名はタンノイ レクタンギュラー ヨークというものだった。価格はユニット含めて確か2本で20万円くらいだった覚えがある。

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タンノイのユニットには30cmのモニター12もあったが、大した価格差でも無いので人気は無く、それよりも25cmのⅢ-LZ (46,000円)が人気で、これなら少し小さ目の国産ボックスに入れれば適度の大きさと価格で、大分買い易かった。なお、タンノイは当時からクラシック向きと言われていて、JBLとは対極を成すとされていたが、実際には意外に何でも鳴らす事が出来た。そして上記2機種でも言える事だが、取り分けタンノイは真空管 (管球式) 、それも出力効率の悪い3極管が良いと言われていて、Ⅲ-LZ をラックスの管球式プリメインアンプ SQ38FD で鳴らすのがクラシックファンの王道だった(60年代のオーディオ2参照)。

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