60年代の地価暴騰(年金フル世代の子供の頃)
8月 30, 20181960年代前半は戦後の第一次地価暴騰の時期で、特に6大都市においては前年比69.5%もの価格指数だった。これにより一番恩恵を受けたのが近郊の農家であり、チョッとした田畑を売れば億の金が転がり込んできた。考えてみればこれらの農家の多くは戦後の農地改革のお陰で只同然で手に入れた土地であり、それは農業をする為の土地なのにこれを売却して大金を入手するという、まあ政府の方針も間違っていたのが最大の原因だが、兎に角サラリーマンが一生掛って稼ぐ分を簡単に手に入れてしまった。
これがいわゆる土地成金であり、今迄食うや食わずの零細農家が突然豪邸を建てたり、農業を止めて他の商売を始めたりしたのもこの頃からだった。しかし、多くは言っちゃあ何だが低能・低学歴な場合が多く、建てた豪邸は何やらヘンテコリンな和洋折衷だったり、豪華な応接間には場違いな家具や安キャバレーのような照明とか、まあ何とも漫画みたいな状況だった。
そして農業を止めて始めた商売は多くがガソリンスタンドで、素人の爺さんと馬鹿息子が運営するから、うっかりオイル交換なんかしたらクルマを壊されそうになるなど、マトモな客は寄り付かないし、赤字続きで徐々に虎の子の現金資産を取り崩していった。
それでこれら土地成金の馬鹿ガキ達が高校受験となると、多くは高い寄付金を払って三流大学の付属高校に進学していた。それで大学は更に特別の寄付を払うことによる貢献を評価されての内部進学で、これまた大学も裏技で卒業して晴れて大学卒となったが、勿論その連中を雇う会社はある訳も無く、結局前出のガソリンスタンドを手伝ったり、別に商売を始めたりという事になる。
この時新たに始める商売はといえば、度々実例を見たのが喫茶店だった。しかし、元々調理も客商売も素人だから上手く行く筈も無く、客は友人ばかりで一般客は殆ど無く、これまた毎月の赤字を現金資産で埋めるような結果となっていた。
ところで、農地改革で零細地主となった農家でもそれだから、江戸時代からの大地主の家系はと言えば、農地は農地改革で取られてしまったが山林は残ったので、結果的に結構な土地を持っていたから、一部を売却すれば結構な現金収入となった。それで中学の時の同級生で地主の息子は当時新設ラッシュとなった私立医学部へ入学した。実力からすると日東駒専の上位かMAECHの下位の理科系くらいで、それでも入ってみたらば本人以外は全て開業医の息子で、正規の入学金だけで入ったのは友人だけだったらしい。
この土地本位制というか土地さえ持っていれば絶対に資産は減らないという土地神話は確かに1990年くらいまで、すなわちバブル崩壊までは続いていたが、その後徐々に事情が変わって、土地は殆ど値上げリしないどころか市街地では農地の宅地並み課税で所有すら出来なくなり、売れば買い叩かれるしで、今や農家はあらゆる面で苦しいのが実情だろう。
昭和の日本の政治はこれら農家を優遇する事で自民党の票田としていたが、今や農家の票何て全く宛てにする必要さえ無くなり、農民優遇どころか TTP で農家を潰してしまえ、っていう位の勢いだ。それでは票田は必要無いのかと言えば‥‥そりゃまあ、選管ムサシという強~い見方がいるから‥‥ではないかと邪推したくなる今日この頃。