都営住宅(60年代の住宅)

前回の公団住宅に対して、今回は都営住宅について綴ってみる。

都営住宅というくらいだからこれは東京都の場合で、他県では県営住宅とか市営住宅となる訳だが、何れにしても公団住宅が主にホワイトカラーの中産階級向けだったの対して、こちらは工場労働者とか自営業 (職人) などが対象で、収入の上限が決まったいた。まあその中でもより低収入所帯向けの第2種住宅っていうのもあった記憶があり、マトモな職についていない親がいる家庭も多かったが、母子家庭等も結構住んでいた。この母子家庭で育ちながら教会に通い、ボランディアをしながら一生懸命勉強して旧帝大系の国立大学を苦学して卒業した同級生の話は「70年代の大学受験(年金フル世代の受験生時代)」を参照されたし。

公団住宅が鉄筋コンクリートの中層(4~5階建)であったのに対して都営住宅は平屋の木造で多くが2世帯が一つに繋がったいわゆる棟割り長屋だった。実は当時の代表的な都営住宅を室内の丁度品まで再現したものが足立区立郷土博物館にあるそうで、これは是非行ってみたいが、ここではそれを紹介した博物月報(hakubutu.jp)に掲載されている写真を使用して当時の生活を振り返ってみる。

外から見ると木造丸出しで、玄関は木製で細かい桟が曇りガラスが入った引き戸だった。写真下の右側に僅かに見えるのが居間とその戸(今で言うサッシ)で、その前には小さな濡れ縁があった。間取りは2Kが一般的だったが、中には3Kの一戸建てというのも覚えがある。

WPPhto181002-1.jpg

居間兼主寝室というか、メインの部屋は畳みの6畳で、ここは家族揃ってテレビを見たり食事をしたりという場所であり、就寝時には主人と妻の寝室となるから、勿論寝る前にはちゃぶ台等を片付けてここに布団を敷く事になる。その為に写真には写っていないが右側の壁には布団を収納する為に襖で仕切られた押入れがあった。真っ直ぐ奥に見える部屋は4畳半で、ここは子供部屋等に使われていた。

WPPhto181002-2.jpg

台所では写真の左手前に見えているのが流し台で、ステンレス等は未だ無くて人造石研ぎ出しの汚らしい奴だった。ガスレンジなんてものも無くて、今では業務用に使っているような鋳物のゴッつい奴で、言い換えれば最新のIH なんかに比べて遥かにマトモな料理が出来たし、電磁波何て出さないから身体にも良い。

また正面に冷蔵庫が見えるが、都営住宅在住者の収入で冷蔵庫が買えるようになったのは60年代も後半だったと思う。その上の電気釜は冷蔵庫よりも価格的に購入し易いから普及は早かった。その上には水筒や魔法瓶(懐かしい呼び名だ)等が見えるから子供が何人かいる世代を想定しているようで、この辺の芸の細かさは大したものだ。

WPPhto181002-3.jpg

ところで遥かに家賃の高い公団住宅も60年代初期は2DKであり、その違いは鉄筋で水洗トイレで食事室があり風呂もある事だ。特に水洗トイレと内風呂というのが家賃の違いというか所得の違いを象徴していたのだった。
この手の木造都営住宅は当時あちこちに結構あって、今では恐ろしく地価の高い都内に平屋で多少の庭まであったのだから、今から考えると良き時代だった。23区内で通勤時間は短いし庭もある生活が当たり前だった60年代は、実は貧しくても今より余程マトモだったのかもしれない。

コメントを残す