70年代のマイコン

今でこそ多くの企業がパーソナルコンピューターを導入しているし、個人で所有している割合も多いが、最初にマイクロプロセッサーが開発された70年代にそれを応用したコンピューターというのは極々マイナーな商品だった。

最初のマイクロプロセッサーであるインテル4004が発表されたのは1971年11月だがこれは4ビットであり、曲がりなりにもコンピューターとして使用できそうな8ビットは1972年の8008であり、その改良型の8080は1974年4月に発表された。

日本で最初にこの8080を使用してユーザーがプログラムを組めるような製品というのは1976年8月にNEC (日本電気) から発売されたTK-80で、価格は88,500だった。しかしこのTK-80はキットであり、使用する為にはプリント基板上にICチップや抵抗、コンデンサ等の部品を半田付けする必要があり、少なくとも電子回路を自作した経験が必要だった。

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このTK-80 のスペックはといえば8ビットでクロックは2MHz、RAM (メモリー) が512バイトで、現代は低価格パソコンでも32ビット、1.8GHz、4Gバイトだから、もう幼児の3輪車とフェラーリ位の違いだった。それで、TK-80 で何が出来るかと言えば電源(これは別売)をつないで16進キーボードからプログラムデーターをマシンコードで入力すると、そのプログラムを実行出来るというものだが、何しろ出力装置は8ケタの7セグLEDだけだから大した事は出来ない。例題として電卓になるプログラムとか見ると、え~っ、9万円も出して苦労して組み立てて、電源まで用意した結果が‥‥電卓!実はTK-80 の正式な名称はTraining Kit μCOM80であり、これはマイコンシステム開発のトレーニングキットだったのだ。

ところで、苦労して入力したプログラムは電源を切れば消えてしまうために、これをカセットテープレコーダーで記録するのが当時のスタンダードだった。その為に TK-80 の基盤には小さなユニバーサルスぺースがあって、ここにカセットインターフェースを組み込む例が多かった。要するにパーツを並べてこれを配線しなければカセットにプログラムを保存する事すら出来なかったのだ。加えて、この記録フォーマットは300ボーが標準だったから、転送速度は1秒間に300ビット (300bps)でこれは現代のHD のSATA2 (3Gbps) に比べると何と1千万分の1だった!

やがて上記のTK-80 をベースとしてこれに追加のメモリーボードや入力用キーボードなどを繋ぐ事でよりコンピューターらしくするという事もマニアの間では流行してきて、秋葉原にはこれらのパーツを扱うマイコンショップが出来始めていた。そこでNEC 自らが専用キャビネットにTK-80 と追加ボードやタイプライタータイプのキーボードなどを組み込んだCOMPO BS/80 が1979年4月に NEC から23.8万円で発売された。

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このCOMPO BS/80 にはRAM 7KB JIS配列キー カセット付インターフェースボード 電源等が組み込まれており、これにテレビを繋げてディスプレイとして使う事により、何とかコンピューターらしき使い方が出来た。本体の上部の平らなところがテレビを置くスペースで、ここに14インチ位のテレビを置くのが通例だった。

しかーし、何とCOMPO BS/80発売の翌月、1979年5月には歴史的名機であるPC-8001が発表され、発売は9月からだった。このPC-8001については次回にて。

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