70年代のマイコン3
10月 10, 2018
「70年代のマイコン」では1回目に国産創世記のワンボードとセミキットのCOMPO BS/80、2回目では米国御三家のPET、Apple、TRS を取り上げたが、いよいよ今回は国産パソコンのルーツとも言える NEC PC-8000シリーズに話を進める事になる。本命をここまで引っ張りやがって、何て思われそうだが、PC-8000を語るにはそれに至る流れを先に説明する必要があったのだ。
という事で、1979年5月9日に発表されたPC-8001だが、この段階では何やら凄いのが出そうだが発売は半年近く先で、既にPETを買ってしまった何て言う場合は、今更乗り換えるのもチョイと‥‥という気持ちだったし、この進化の速いマイコンの世界で半年近くも待つのは厳しいという事もあった。
そして遂に発売されたのは9月の末で、早めに予約していたらば10月初旬に納品となったし、パソコンショップにはデモ機が並んでいた。その現物はタイプライターキーが付いた本体に入ったPC-8001本体が168,000円で、これに12型グリーンディスプレイPC-8041(48,800円)または12型カラーディスプレイPC-8042(109,000円)を組み合わせるのだが、多くのユーザーは折角ならとカラーを選んだが、それでも合計で277,000円であり、これは9インチグリーンディスプレイのPETより安く、見掛けも圧倒的にコンピューターらしかったから、半年間ジッと待ったユーザーはその我慢が報われた瞬間だった。
NECはその後続々と周辺機器を発売したが、注目はフロッピーディスクユニットPC-8031 (310,000円)だった。これにより2連の5インチフロッピーディスクが使える事になるから、実用性は大いに増したのだった。ただしこれを本体に繋ぐには拡張ユニットPC-8011 (148,000円)とI/OユニットPC-8012 (84,000円)が必要となり、合計542,000円也と決して安くは無かった。しかしこれら周辺機器を並べた状態は如何にもコンピューターらしく、それがまた魅力だった。
これに比べるとアっという間に時代遅れとなったPETだが、30万円のフロッピーディスクドライブが本体に直に繋がるメリットは大きかったが、とはいえPETの40文字/1行のグリーンディスプレイと、PCの80文字/1行のカラーディスプレイでは商品性は大きく異なっていた。実は当時PETに飛びついて、フロッピードライブまで揃えた私としては何とも複雑な気分だった。実際マトモなビジネスアプリケーションを動かすにはカラー80文字/1行のディスプレイは大いに役立ちそうだったからだ。
ところで当時PCを買ったのは勿論”マイコンおたく”もいるが、その手は絶対数が少なく大した数では無く、むしろそれ以外の大企業のサラリーマン、エンジニアは勿論進歩的な営業や経理などの文系社員も多かったし、教員も結構いた。そして大学生も金持ちの子弟は勿論の事、バイトで貯めた資金で購入する例も多かった。
なおこのPCに於いてNECはパーソナルコンピューターという呼び方をして、その略語として「パソコン」という呼び名が日本では定着したのだった。しかし、当時一部ではパーソナルコンピューターを略すのなら「パーコン」とすべきだという意見もあったが、これではミニコン等に比べてパーなコンピューター(事実だが)というニュアンスになってしまう、という事で何時の間にやらパソコンと呼ばれ始めて、それが今でも続いている。
ではPCは買ったが、一体どうやって使うのか、については次回に続く。
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