三角ベースと野球盤(年金フル世代の子供の頃)

1960年代前半の人気プロスポーツといえば野球と相撲だが、実はそれに勝るとも劣らないプロレスがあった。その御三家(そんな言葉は無かったが)の中ではプロレスは完全に人気を失ってしまいキー局のテレビでは先ず見られない。相撲は唯一NHKが中継しているが、元貴乃花親方の騒ぎでこそ世間の目に触れたが、普段は地方の極一部のファン程度しか見ていないだろう。

残る野球はといえばこちらは不滅の人気であり、今でもシーズンである約半年間はテレビの番組編成が変わる程であることに変わりは無い。

その野球だが、見る方はとも角として60年代の少年にとって本格的に野球らしきモノをプレイするのは場所的にも道具等の装備としても敷居が高かった。例えばバットは誰か1人が持っていれば良いとしても、軟式と言えどもグローブが必要だし、誰もが持っている(買ってもらえる)とは限らない。更に広いグランドが小学校の校庭くらいしかなく、最初は放課後に解放されていたが校長が代わってからは放課後の使用は禁止となってしまつた。因みの最初の校長さんは今考えると実に人の良い人格者だったが職務中に倒れて無くなってしまった。その後任は見るからに嫌味なヤツで、出世第一、失敗しそうな事はやらないし、児童の事は二の次、いやそれ以下だった。

そうなると近所の空き地などしかなく、広さは精々100坪とかそんなモノだったから、野球と言っても2ndベースが無い事から3角ベースと呼ばれた変形ゲームとなってしまう。しかもグローブが不要で球の飛距離も短い軟式テニスボールを使うのが一般的だった。それでも飛び過ぎる更に狭い場所ではワンバン(ワンバウンド)野球というローカルルールもあり、一度地面にバウンドさせるように打つから球は10mくらいしか飛ばないというモノだった。しかも人数が集まらない時はバッター以外は全員が守備、とかまあ色々臨機応変にローカルルールを作って遊んでいたのだった。こういう訓練を子供のころから実践していた世代は、その後社会に出ても危機管理能力を体で身に着けていた‥‥という事も多少はあるだろう。

しかし、それでも雨の日には野球は出来ず、そんな時には野球盤の出番となる。野球盤はエポック社というメーカーが50年代末(1958年)に発売したモノで、一辺が60cmの正方形でこれを野球場に見立ててゲームを行うのだった。この野球盤は当時1,750円というから名糖ホームランアイス175本分!という、子供にとっては天文学的価格だったが、結構なブームとなり売れ行きも好調だったとか。それでも遊び仲間の誰か一人が持っていれば良い訳で、これを持っていると正しくヒーローに慣れたのだった。

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遊び方は単純でピッチャー役がスコアーボードの裏側からレバーを引いて離すと、ピッチャーマウンドに繋がった金具がパチンコ玉のような金属製のボールを弾き、これをバッターボックスに付いている回転式のバットで打ち返すのだった。バットはスプリングで左回転するようになっていて、これを右まで回し切って指で押さえ、球が来たらタイミングを合わせて離すのだった。

球は盤面を転がる状態でグランド上の小さな皿のような窪みに落ちるから、それによってアウトやヒットとなるのだった。なお盤面には小さなプラスチック製の人形を立てていて、ランナーが出たらば色違いの人形をベースに置いて識別するのだった。といってもイメージが浮かばないかもしれないので以下に少し改良されたタイプの写真を掲げておく。

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その野球盤とエポック社は今どうなっているのかと思ったらば、何と改良されて、3Dタイプ(球が飛び上がるらしい)となるものの、基本構造は変わりなく今でも販売されていた!

野球盤 3Dエーススタンダード

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