60年代の工業高校

50~60年代には工業高校の人気も需要も結構あった。特に地方の工業高校は同じ学区域の進学高を変わらないくらいの難易度だったようだ。ただし、東京では流石にそれ程でも無かったが、それでも都立の工業高校は私立の普通科(特別な進学校を除く)の多くと同等かもしくは上だった。

それでは当時の工業高校卒でどんな就職があったかといえば、成績上位者ならば日本を代表するような大企業で設計等の技術職として雇っていたのだった。考えてみれば当時の機械工学(材料力学)なら四則演算の強度計算で多くの設計業務がこなせる時代であり、工業高校レベルの基礎知識で充分だった。

まあ農民の子供たちの多くが中学卒業後に集団就職で大都市圏に出てきた時代だから、それに比べれば高卒というのは準エリートであり、工業高校を出て設計エンジニアになったり、商業高校を出て銀行員になったり、ハタマタ普通高校を出て国家公務員になったりという時代だった。勿論地方でも大卒は居たが、それは言ってみれば旧大地主、名主とか庄屋とか言われる家系の出自であり、男子(特に長男)なら大学の農学部を出てから地元で新しい農業について農民を指導するとか、次男以降ならば医学部へ行って地元で開業するか町立診療所の医師になったり、女子ならば地元の国立大学で教員免許を取って地元の学校の教師になる、というのがパターンだった。

ところが世の中は高度成長と共に特に都会では生活水準が上がり、優秀な中学生は工業高校を敬遠する傾向になって、良い生徒は集まらなくなってしまった。更には60年代中頃からは工業高等専門学校(工専)という中学を卒業後5年制の学校が人気となり、多くが国立で授業料も安くしかも大学よりも2年早く世に出られる事から大人気となり、偏差値は超1流の進学高校と同等の70以上だった。

ところが企業側、特に巨大企業程対応が遅れていた為に世の中では大卒が当たり前になりつつあるのに、技術職に工業高校からの求人を続けていた。また急成長した会社も同様で、1970年頃に世界的企業になった音響メーカーの組み立てをやっている中小の下請けメーカーでは、親会社からの指導に来るのは高卒で組み立て現場に入ったらその後の急成長で外注指導という間接業務に昇格した田舎の工業高校卒の兄ちゃんと商業高校卒の姉ちゃんだったりした。それでも親会社の人だからと、旧帝大卒で戦後仕事が無くなって中小企業を営む嫁さんの処のマスオさんとなった社長が直々にペコペコと頭を下げて、流石は戦中から戦後の苦労をしただけあって人間が出来てるワイ、とか感心する次第だった。
それどころかむしろ大学へ進学したために卒業時期に不景気に当ってしまい中堅企業しか就職できないで、これまた親会社の高卒社員に頭を下げる事態となった者も多かった。

ところで工専はその後どうなったかといえば、ご存じの通りで今ではマイナーな存在として辛うじて存続している状態だ。この工専については近いうち取り上げようと思っている。

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