60年代の深夜放送(年金フル世代の受験生時代)
11月 14, 20181960年代から人気が出てきたラジオの深夜放送は、受験勉強で夜中に起きている受験生を中心に当時は結構メジャーな存在だった。60年代後半と言えば70年の安保改定を前にして学生運動が盛んになっていた時代であり、1969年の安田講堂事件でピークに達していた頃だった。
深夜放送が本格的ブームになったのは1967年にTBSラジオの「パックインミュージック」と日本放送の「オールナイトニッポン」がスタートした頃からだったと記憶している。放送は第1部と第2部に分かれていて、第1部が受験生向けの本命で、第2部は主に長距離トラックのドライバー向けだった。
パックインミュージックの場合第1部は初期には24:30~27:10分だったが後に25:00~27:00となった。ここで何故に1:00ではなく25:00なのかというと、土曜日の1:00からの番組は金曜25:00と表現する為だった。
番組は火曜(実は月曜日の深夜)から日曜(土曜日の深夜)で各曜日ごとにパーソナリティが異なっていた。その中でも人気ナンバーワンは金曜日(木曜深夜)の当時の人気声優である野沢那智/白石冬美コンビの通称「ナチチャコパック」だった。何しろ他の曜日は時代により10人程が交代して行ったが、金曜については最初から最後まで同じコンビで行われていて、その期間は1967年から1982年までの15年間にも及んでいた。下に当時の放送の録音を埋め込んでおく。
パックインミュージックの最大のライバルであるオールナイトニッポンも初期は別として、最盛期の放送時間は同じく25:00~27:00で、曜日毎にパーソナリティが代わるのも同様だった。一番人気は月曜日の糸井五郎で、軽快なディスクジョッーはナチチャコとは全く方法が異なっていた。
その他にも火曜日の斎藤安弘(通称アンコウ)、木曜日の今仁哲夫(通称テッちゃん) などが居た。また69年からは亀淵昭信(通称かめちゃん、後に出世して社長になる) も加わっていた。だが流石に金曜はナチチャコパックとバッティングする事から、相当な苦戦をしていただろう。
しかし今考えて見ればラジオを聴きながらの受験勉強なんて集中力を維持出来る筈も無く、まあやらないよりはマシという位だったような‥‥。