60年代の新聞配達少年

12月 18, 2018 0 投稿者: B_Otaku

今でこそ新聞をとっていない家庭が多くなっているが、60年代には殆どの家庭で新聞をとっていた覚えがある。その新聞を配達しているのが中学生のアルバイトだった。それらの販売店には大学生の住み込みもいて、これは新聞社からの奨学金と店からのアルバイト料で生活と学費をねん出していて、要するに家が貧しくてもこれにより大学へ進学する事が出来たのだった。

その奨学生だけでは足りないので結構の数の中学生のアルバイトがいた。朝は5時頃から配達して、これが終わってから登校し、放課後は夕方から夕刊の配達をしていた。アルバイト料は確か月に5千円くらいと聞いた事があった。

それで中学生の新聞少年は中学の3年間で10数万円が貯まる事になり、これで高校の入学金と当座の授業料を支払う事になる。当時の私立高校の入学金は5万円、授業料は月5千円くらいだった記憶がある。という事は 5万円 + 0.5万円 X 12か月 X 3年 =23万円となり、これはチョイと足りないので、高校に進学後も新聞配達から抜けられない事になる。

ところで何故に私立高校で計算するのかと言えば当時は公立優位であり、特に普通科は進学高として可也難関だった時代で、工業高校も田舎では進学高並み、都会でも私立普通科の多くよりも偏差値が高かったからだ。なお当時は私立の工業高校というのもあってそれなりの就職が出来たから、新聞少年達の進学先として主流となっていた。

この辺の事情は2018年7月5日のブログ「60年代の高校受験」を参照されたい。

正直言って中学1年の時は新聞配達をやっている同級生が何の為に金が必要なのか判らなかった。しかし本人に聞いてみると高校進学の資金を貯めているという事が判り、成る程貧しい家では高校に進学されられないのだな、と納得した次第だ。

ころろが考えて見ると新聞少年達は多くが多少グレ気味というか、悪い仲間とロクでも無い事をやっている場合が多く、決して勉強がやりたいとは思わないが、それでも高校だけは出ておかないと、という気持ちは充分にあったようだ。それでまあハッキリ言うと、こういう新聞少年は圧倒的に都営住宅の家庭が多かった。まあそれぁ低所得者用の住宅なんだから当たり前だが、しかしそういう低家賃の住宅が結構あった事は当時の福祉政策はマトモだったのかもしれない。

何しろ設備は悪いとはいえ2~3部屋で多くが戸建て!だっのだから。これについては2018年10月2日のブログ「都営住宅(60年代の住宅)」を参照されたい。