60年代のお正月
1月 2, 2019年金フル世代が子供の頃、すなわち60年代の正月は、どのように過ごしていたのだろうか?
まず食べ物はお餅とお雑煮というのは今でもそんなに変わる事は無い。えっ? 今じゃあ餅何て食わねぇぞ。とか、お雑煮なんてダッせ―、とか言う意見もあるかもしれないが‥・。
そしておせち料理だが、60年代は多くの家庭で年末から伝統的なおせちを作ったりする事も多かった。今では殆どの家庭で出来あいのおせちのセットを買っているのではないだろうか。ではどんなものかといえば、今になってみれば決して美味しそうなモノでも無い。
尤も60年代だって本当の上流家庭だったらば、日頃贔屓にしている一流料亭から非売品の豪華おせちが届くとか‥‥?
こういう事って今でもあるのだろうか? それは別にして、今は(一応建前では)平等な世の中だから、一流料亭のおせち料理だって金を出せば庶民でも買える世の中で、いや、まあ良い時代になったものだ。といっても価格は其れなりに高いが。
さてそれで、当時の子供たちの正月の遊びは‥‥♪お正月には凧あげて、コマを回して遊びましょう♪ という位だから、先ずは凧あげ。しかし凧といっても近所の駄菓子屋で売っている安いヤツで、それに凧糸をセットで買って、しかしそのままでは不安定なので新聞紙を幅5cm位に切った長さ50cm程の足を左右に付けるのがノウハウだった。こういう事は近所の上級生に教わるのであって、付き合いの悪いガリ勉君には判らない処だ。あっ、尤もガリ勉君は駄菓子屋なんかには行かないが‥・。
そしてコマもまた駄菓子屋からの調達であり、本体が木製で鉄の心棒が入っているタイプが主流だった。これをビューっと回す時に最後に上に引く事で手の上にポンっと載せて回すのが庶民の悪ガキのセオリーだった。更に左の手ひらで回っているコマを紐を伝わって右手に送る事が出来ると、結構尊敬され、その為には小学校の宿題何かには目もくれず、一心不乱にコマの練習をしたのだった。
まあそんな事をやっていたから将来はロクなモノになっていないか、といえば、それ程悲惨な訳でも無く、当時の悪ガキ仲間の多くが、何故かマトモに大学を出て、所謂東証一部上場企業に勤務してたりした‥‥か如何かは判らない。チャンチャン。