甲子園優勝で話題の慶応高校 昔は滑り止めだった!
9月 2, 2023
甲子園で優勝したことで話題の慶応高校。誰が見ても超の付く優秀校だが、実は団塊世代が高校受験の頃は、なんと滑り止めだったのだ。
当時の超一流といえば、先ずは日比谷高校であり、何たって半分以上が東大に合格するというダントツ日本一の高校だった。
ただし、都立高は学区域が7つに分かれていて、住居のある学区の高校しか受験できないために、いくら優秀でも日比谷高校を受験できない場合も多かったが、うまい具合に殆どの学区には日比谷同様に旧東京府立中学の名門だった高校が点在していて、数校は日比谷に迫る超難関校で私立の優秀校といえども単なる滑り止めとなっていたのだった。
その超一流だった高校を記憶を辿って列記すると、新宿、小石川、西、両国なんていうところが思い浮かぶ。なお、多摩地区は第7学区で、ここには旧制府立2中(日比谷は1中)だった立川高校がある。
そして、これらの高校を受験する生徒が滑り止めとして受けていたのが慶応高校と早稲田高等学院であり、都立名門高を狙うような生徒なら、早慶といえど必ず合格していた。
慶応高校の甲子園優勝で浮かれているOBの爺さんが誇らしげにインタビューに答えていたが、ぶっちゃけ日比谷や新宿を落ちたから慶応に行った、という確率が高いのだ。
それでは超一流以外の都立高校はといえば、これとて多くの私立高よりも上であり、滑り止めには今でいうMARCHの付属高という事になる。
そんな栄光の都立高校が落ち目の三度笠となってしまったのは、天下の悪政である学校群制度だ。制度が出来たときは東知事だったが、その後この制度を死守したのは例の極左知事、日本の文ちゃん、濃部亮吉だった。
これってエリート校をぶっ潰す企みであり、共産主義者の陰謀、と思っているが‥‥。
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