60年代のオーディオ(年金フル世代の子供の頃)
7月 16, 2018年金フル受給年世代が子供の頃のテレビについては1959年の皇太子ご成婚パレードを契機に一気に普及したから、1960年代には多くの家庭にテレビがあったが、それでは音響機器についてはどうだっただろうか。
これはテレビに比べれば実用性で大いに劣るから優先度は低くなり、多くの家庭に普及する事は無かった。それでもテレビが一気に普及した1959年に発売されたビクター STL-3 という機種はテレビ同様に皇太子ご成婚を記念して発売されたもので、当時としては高価だったがそれでも日本初のステレオ再生が出来る音響機器だった。
その4年後の1963年に発売されて当時ベストセラーとなった同じくビクターのアンサンブル型ステレオが STL-661 で、ベストセラーとはいえ当時7万円もしたのだから、一般の庶民には手の届かない高価なもので、これを買うのはやっぱり大企業のエリート社員とか、中小企業の経営者とかが多かった。ところがこの頃、友人の家に遊びに行ったらこのステレオがドーンっと置いてあり、これを買ったのは友人の兄で年は離れていたとは言え10代だったが、友人の家は親戚共々大工の棟梁の家系で、その兄は中学を出ると直ぐに大工の修行に出て、当時は既にお礼奉公も終わって一人前の職人だったから、7万円のステレオを買うくらいの稼ぎがあったようだ。
当時はものづくりが重視されて、厳しい修行に耐えた職人は下手な大学出よりも稼ぎが良かった。その友人の兄は自慢気にそのステレオにシングル盤を載せて鳴らしてくれたのだが、その曲がベンチャーズのキャラバンだった。当時ベンチャーズを聞くにはレコードしか手はなく、それ以外では日本人のバンド (ブルージーンズ等) がテレビ番組で演奏するのを見るしかなかったのだが、何しろ普通のテレビの音なんて酷いものでリード・ギター以外は何だか団子になって良く解らないような音だから、そういうのしか知らなかったが、そのステレオから出てきた音には、サイドギターが刻むコードがスッチャカ・スッチャカと聞こえていたり、ベースのラインもハッキリ解ったし、そしてドラムもシンバルがシャコシャコやってたりバスドラがズンズンと腹に響いたりと、もう完全にカルチャーショックだった。
だだし後になって思えば、妙に高・低音を強調したドンシャリ音だったり、スプリングリバーブ (エコー) を掛けまくっていて曲間の無音部分ではスクラッチノイズがバチッではなくビョーンという感じだったが、あの時はそれがまたスンゲェーと感じたものだった。ラジオは FM なんて無かったが、NHK がラジオの第一と第二を使ってステレオ放送を実施 (滅多にやらなかったようだが) していた時代で、これを受診するためにラジオは2回路付いていたものもあった。やっぱり昔の NHK は受信料を払いたくなるような良い事をやっていて、このポリシーを貫いていれば受信料収入はもっと伸びただろうに、いつの間にか隠れキムチの牛耳る売国奴放送法違反放送局になってしまったのは嘆かわしい事だ。
オーディオセットがこのようなアンサンブル型から70年代のコンポーネント型に移る過渡期としてはセパレート型というのがあり、日本初のセパレートタイプが発売されたのは1960年のパイオニPSC-1だったが高価は事から殆ど売れなかったようだ。
1965年には山水 APS-530が発売されたが、スピーカーの格子状カバー等はその後の山水製品に継承されて、1970年代のコンポ―ネントステレオへと発展していった。